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- Date:2025年04月20日
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登場人物
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
僕…澄田久弥:幽霊や闇が見える少年
辻村桐吾:闇の存在。
夏の夜にでも読んでいただければ…というホラーBL小説。
かなり自分の趣味でてきています。
闇の存在が見える少年の悲しみと、闇の存在である桐吾の攻め。
が見どころでしょうか?
では、どうぞ。
◇◆◇
僕はもう気づいている。それはもう、とっくの昔に――――
庭は赤く、赤く染まっていた。血のような赤。もう夕暮れ、黄昏時。
黄昏は、誰そ彼時ともいう。
日が傾いて、行き交う人々の顔すらも判別つかないために、そう言う。
誰も彼も顔がわからねば、すれ違った人々はあるいは本当に人であったか―――逢魔が時だ。
久弥は唇をかみしめた。逃げ場はない。
(何を恐れる。楽しい夜がくる。お前を愚弄し、いじめた連中も、怯えてねぐらでうずくまってるだろうさ。闇が見えるお前が怖いとな。復讐できるんだぞ)
それは、ずっと、そして楽し気に。
その心の声は、近くもなく遠くもなく、ずっと心に木霊するような、不思議な低い声音だった。
風が吹いてきた。ざああと木々は揺れ、夕闇の庭に、久弥の影が浮かぶ。
(ちがう!僕は、誰かに復讐することなんてしない)
(そうかな?お前はただしないだけなのさ。その力があるっていうのにな)
(よしてくれ!)
(闇はお前の友達だ。いつでも、いつまでもな)
(五月蠅い!!)
心の声は低く笑ってから、獣みたいな吐息を吐いた。
(お前は、覚えているはずだ、胸の、体のもっとも深いところに熱く…)
(なんだよ…!止めろ…!)
(熱く…熱く。穿つものをな)
(止めろ!…僕は…僕は…)
くしゃりと顔をしかめたあと、数分か、それとも一瞬だったか。
久弥(ひさや)は、顔を上げた。
暗い影はぽっかりと口を開いて彼を待っている。
迫り来る闇は、すぐそこだ。
◇◆◇
なぜか後悔ばかりしてしまう、去来する過去。ざわざわと熱風に揺れる、青々と茂った息苦しいまでの緑。乱暴なまでな情動。真夏の通り魔。やいのやいのと騒がしい夏祭りの熱気。
夏は、なぜこうも息苦しく、生きづらいのか。
夏だけじゃない。ほんと、年中、生きるのって苦労の連続だ。
久弥は、小さい事から、変だった。
久弥の先祖は代々、味噌や醤油を造る大豪富で、金貸しもやっていた。
黒々としたなまこ壁や、真っ白な壁が魅力的な蔵が、敷地内にいくつもあって、典型的な日本家屋の自宅の廻りには、土壁でぐるりと覆われていた。
大きな道路のある門の前の道は、車や人が往来し、裏は鄙びた狭い小道で、道路というよりは、土で出来た小さな道で、道の両脇は貧乏な人の棲む木造建築が並び、
土壁がずーっと囲まれた、すぐ左隣にはモリモリとした緑に囲まれた水子を祀るお社のある神社があった。
表通りは車の排気ガスや人々の喧(かまびす)しい声でうるさい一方、裏通りは子供たちのはしゃぐ声がに朗(ほが)らかで、軒下で洗濯物をするシャボンの香りに、彼は母を想った。
そういう幼年時代だったから、久弥は、車ばかり走る危ない表通りよりも、
時折、虫取り網を掲げて子供が走り回る、貧乏な人々が棲む古い日本家屋が連なる裏通りの方が人の温かみ、趣きがあって好きだった。
しかし、久弥は変だった。
(夕闇は甘美だよなァ…)
まただ。
幼いころから、聴こえる心の声は、低い、男の声だった。
(お前の力になるぞ…昏い力がな…フフフッ…)
(誰だ、お前は…消えろっ!)
ざわざわと生い茂る木々が作る木陰が怖かった。
人が遊んだあと、そのまま放置された、誰も乗っていないまま横倒しになって、からからと風になぶられ車輪が回っている三輪車が怖かった。
おいで、おいで、と呼ぶ、角を曲がったどこかのおじさんの背高のっぽの黒い影が怖かった。
そう、久弥には時折、誰にも聞こえない声が聴こえたり、見えないものが見えたりした。
しかし、不思議なことに、それを楽しむときもあった。
たいてい、気の大きくなっている時や、嫌な事があったときだ。
そんなときは、反面、胸にもやもやと言いようのない靄(もや)がかかってみたいな気持ちになって、久弥はすぐに隅っこのほうに逃げた。
(闇はお前を優しく抱(いだ)いてくれるよ、女みたいにな、してやるからな、フフ…)
心の声は、聞いたことも見たこともないような男の声音だった。
(ちゃあんとお前のイイところを…突いて、上手に大人にしてやる)
時折、男は肉質的な肉体を持って、久弥の夜の夢に現れた。
そして、幼い体は縦横無尽に蹂躙されて、久弥は、夢の中で達することもままにあって、現実でも、夢と違わず布団をぐっしょりにしてしまうことがあった。
「怖い」
夏なのに、どこからか冷たい風が吹いてきた。
久弥は、ぶるっと身を震わせた。
そういう、不気味な声や、影から身を守ってくれる人は、今は誰もいない。
もう太陽はとっくに沈んでしまった。
久弥はきっ、と闇を見据える。
優しい、少女のような母は、子供の頃、小説家の父は、先月、逝ってしまった。そして、おばあちゃんも―――
もう18歳だ。暗闇をみておびえてばかり言ってただ震えてばかりは、いられない。
シャワシャワと蝉の音だけが響いている庭には、白糸のような煙をくゆらせた、迎え火の、松の枝の残骸が残るばかりだ。
今年もお盆が来る。
ぷん、とどこからともなく、線香の香りがして、久弥は思わず眉根をしかめた。
嗚呼、今年も夏が来てしまった。
あの、夏が。
◇◆◇
14歳の頃の記憶は、封印している。
かれこれ、四年前の話になるか
はじまりはなんだったか。
僕は、殺してしまった。
大事な、朋友を。
それは、小さな、闇の生き物だった。
梅雨の中頃の、雨の日だった。
もぞりと布団から起き上がって、寝ぼけまなこで頭を掻きながら窓越しに庭を見た。
庭はしとしと雨で濡れていて、なんとなく、薄暗くて、気持ちが悪かった。
なぜってそんな日は、決まって、視界に嫌なものが映ったからだ。
軒下に垂れ下がっている蔓をいっぱい伸ばした朝顔の束が、窓越しに、カッと目を見開いた老人の顔に見えた。
食器棚にしまってあるフォークが、人の手に見えた。
なるべく、昏いところを見ないようにして、学校を我慢したあと、帰り道で、紫陽花がいっぱい咲いている古い通り道を歩いていた。
いるな、と思った。いつものお化けだ。「影鬼」、と僕は呼んでいる。影鬼は、日陰や、薄暗い所にぼんやりとたたずんでいて、黒い腕を伸ばし、こちらにつかみかかろうと手を伸ばしてくる。
影が伸びて腕を撫でて、ぞわりとした。逃げようとして、そのとき、何かに蹴躓(けつまず)いた。
けつまずいた靴の先にいたのは、キーキーとドアのきしむような声をしていて、スーパーに売ってる三色団子みたいな大きさで、黒胡麻をどろりとかけた様な、真っ黒な姿をしていた…物の怪だった。
ひょいとつまみ上げると、キーキーと声を上げて鳴いている。
「なんだ…?この生き物」
摘ままれた黒い毬みたいな物の怪は、キューキューと鳴き声を変えて、僕にとびかかってきた。
お化けというよりは、犬ころみたいな目をしていた。
わあと悲鳴をあげてみたが、その生き物は僕に叩かれて、一つだけの目玉をくるくると回しながら、僕の肩に止まった。
「きゅ」
そういうと、僕の頬にその黒い毛を押し当ててすりすりと頬(?)を震わせた。…どうやら頬ずりしているらしい。
僕は、恐怖というよりは、生まれて初めてこんな楽しい、不思議な生き物に出会えて、喜びすら浮かんだ。
相貌が崩れた。
「お前みたいな、闇もいるんだな!」
僕と黒虫(そう名付けた)はすぐに仲良くなった。
闇は恐ろしいものだったが、時に、闇は優しく静寂を、安らぎを、喜びを、僕に与えてくれていたことを、この時、思い出した。
小さい頃から、恐怖と隣り合わせで生活していたせいか、僕は暗い性格の子供で、学校でもいじめられていた。
優しい母親は死んだばかりだったし、年の離れた体の弱い父親は忙しく小説家の仕事をしていて、僕は孤独だった。
黒虫は僕が悲しくて泣いていると、物陰からでてきて、ぺろぺろと涙を舐めてくれた。
「きゅっきゅー!」
元気づけようとしているのか、もしかしたら、僕の涙が好物だったのかもしれない。
「最近、久弥が元気だね」
そういう、優しいおばあちゃんだけが、僕の心の拠り所だった。
おばあちゃんは、小説家で心臓の弱い僕の父親と、僕に、毎日ご飯を作ってくれた。
僕のお母さんがいた頃は、一緒に台所に立っていたけど、今では独りぼっちでごはんを作ってくれている。
いつも縁側で猫のタマを撫でていて、闇が怖くて泣いている僕を抱きしめて甘えさせてくれる人だった。
「そう見える?友達ができたんだ…ちょっと、どんな子かは言えないけど」
「そうかいそうかい。そりゃあよかった。じゃあもっと久弥が喜ぶように、おはぎを作ったんだけどね」
「わあ!おばあちゃん、僕食べたい!」
黒虫にも、おばあちゃんに見えないところでこっそりおはぎを上げると、はぐはぐとおいしそうに頬張った。人間みたいな奴だった。
「なんか…最近、毎日楽しいな…このまま、ずっとこんな日が続けばいいのに…」
最近、あの昏い、男の人の声も聴こえなくなってるし…
そう思っていた。
晴天短し、雨天決行。
やがて、季節は春から夏へ、空には、どんよりとした雨雲の変わりに、いつの間にかもくもくと背の高い入道雲でいっぱいになり、夏休みも一週間というころだった。
「…えー、では、みなさんに紹介する、転校生の辻村桐吾君だ」
教室は、夏休みも近くて、みんな浮かれていた。
先生の声が掻き消えるかのようにクラスは騒がしくて、みんな、夏休みになったらどこそこへ遊びに行くとか、あれを喰うだの宿題が大変だのそんな会話ばっかりしていて、転校生なんて、目に入ってないみたいだった。
僕以外。
(彼は…彼は…まさかまさか…)
転校生と先生に紹介された辻村桐吾は、まっすぐ、クラスの一番後ろの席に座る僕と、目を合わせて、にっと微笑んだ、ように見えた。
ように見えた、というのは、それが、嘘であってほしいという希望的観測も入っていた。しかし、「辻村桐吾です、よろしくお願いします」という声音に、
どっと冷や汗が出た。
辻村桐吾はすらりと身長が高く、とても14歳には見えなかった。
「もうすぐ夏休みの前って時に転校してきて大変だろうが、みんな仲良くな。
そうだな、花村君の席は…澄田久弥、お前のすぐ前だ」
すたすたと上履きの足音がして、辻村桐吾が、僕の前に立った。
(俺の事知っているだろうが、よろしくな)
ひそひそと、耳打ちされた声は、やっぱり聞き覚えのある声色で。
があん、と鉄の棒で頭を殴られたみたいな衝撃だった。
「そもそもずっとお前とは一緒にいたんだが…そろそろな、と思って」
辻村桐吾はにこやかに笑いながら、僕のすぐあとに階段を下りてきながら、そう言った。
校舎は夕暮れに染まっていた。そう、誰そ彼時に。
「誰だ、お前」
「なんだ、もっと怯えてくれるかと思ったのに、思ったより剣呑だな」
僕の声は自分で思ったより低かった。
人間は、恐ろしいことが起こると、現実と受け止めず、自分の心を閉ざしてしまうことで自分を保とうとする。
久弥はむしろ逆で、外に発散するほうらしく、謎の男に対峙するくらいは肝が据わっていた。
「お前は、誰だ。なんで僕のなかにいた」
「まあまてよ、とりあえず自己紹介させろよ」
ざああと夕凪が頬を撫でる。夏の熱風はむわっと気色悪く頬を撫でた。
「俺は…そうだな、ここではない…そうだな、お前があの世と呼んでいるところからやってきた」
「あの世って」
「黄泉の世界だ」
「信じないよ、そんな話」
「本当に信じてくれないのか?でも、お前には、闇が見えるはずだ」
辻村桐吾はくすりと笑いながら言った。
久弥はぎくっとした。
小さい頃から見ていた、闇の生き物。先日だって、獣でも人でもない、キューキューと鳴くへんてこな妖怪と友達になったばかりだった。
「お前には、闇の存在を見る力があるだろう?だったら、俺みたいなのも信じて貰えるとおもうんだけどな」
「幽霊だっていうのか?」
「闇の存在だ。お前が思っているのより、ずっと、怖いモノさ」
そういって、辻村桐吾は自嘲気味に笑った。意外な笑いだった。
「怖いものって、なんだよ」
「…鬼さ。俺は人を呪うことで狂い死んで、鬼になり果てた」
鬼。目の前にいるのは、鬼なのか。昔話で読んだ絵本で、美しい女や子供を山へさらって喰ってしまうという。
違う、と思う一方で、そうなのかもしれないと思った。今まで、心の中で散々聞いた恐ろしい声音と同じだったからだ。
「…そもそも、人間という生き物は脆弱で、すぐに死んでしまう。
そこで、霊気の強い人間に憑りついて、俺の教えを説いて回ってたんだがな。
同志はいつまでたっても見つからん。そこで、最後に白羽の矢に立てたのがお前、澄田久弥」
そこで、辻村桐吾は、ふっと暗い顔をした。
「迎えに来たんだ、お前のこと。お前の闇の力は強い。今度こそは、と思ってな。
仲間を見つけて、黄泉の世界へ連れて行っても、みんなすぐに死んでしまう。
いままでどれだけの生者の同胞を連れて行ったか分からないけど、お前なら大丈夫だろう」
「確証はないだろう」
「いや…お前ほど、強く闇に囲まれている人間は見たことがない。だからな。
さんざん闇の力を増幅させてやったし。覚えているだろう、その体に刻み込んだ情念を」
僕は一瞬なんのことか分からなかったけど、それが、心の中で何度も辻村桐吾と交わした情交のことを言っているのだと気が付いて、顔から火が出るかと思うほど、僕は赤くなった。
「や…なんのことだよ」
「しらばっくれなくてもいい」
辻村桐吾はしらっとした顔をして答えた。まるでおもちゃを扱ってるような気軽な感じで。
「僕は…黄泉の世界なんて行きたくないよ」
「いいところだぜ、草原に彼岸花がどこまでも咲いて、酒や食い物があって、枇杷を弾くものがいる」
「黄泉の世界ってそんなところなの?」
「仏の教えとか人に聞いたのか?だが、黄泉の世界は、お前たち人間の教科書とは違うんだ」
いいところだ。と、鬼は、辻村桐吾はもう一度、呟いた。
帰り道、花村桐吾が後をつけてきた。
「花村桐吾、どうしてついてくるんだ」
「桐吾、でいい。俺には、あいにく家族とやらがいないんでな。お前の自宅へお邪魔しようと思う」
「どういうことだよ」
桐吾は、「こういうことさ」と言うと、腕をやおら振った。すると、突然ざあと突風が吹いて、瞼の中に砂が入った僕は思わず顔を覆った。
「?!」
再び顔をあげると、そこには誰もいない。
(お前の中さ。こっちのほうがいい。落ち着く)
すると、今度は心の中に、桐吾が降りてきたようだった。
僕は胸のあたりを撫でて、なにも反応がないことが良かったのか悪かったのか、不気味な気持ちになった。
「嫌だなあ…僕の中にいるの?」
(こっちのほうが、もともとだったんだ。)
ここでお前とイイコトもいっぱいしたな、と桐吾は、またも恥ずかしいことを言った。
その言葉で、僕は心の中で、今までされたアレヤコレヤ、のイタズラのことを思い出して、かっと頬が熱くなった。
「…もう、あんなことやめてよね」
(でも、実際したわけじゃない。俺は、人の姿になったついでに、実際にお前としてみたいと思ってるんだがな)
「いやだ!」
僕と桐吾がやりあっていると、道端の隅の方から、キューキューと愛らしい声がする。
「黒虫!僕を迎えに来たのかい」
がさりと、草むらを揺らして、ゴルフボールくらいの大きさの黒い生き物が僕にとびかかった。
とさりと手の中に落ちて、ころころ転がりながら、「きゅっきゅっ」と笑う黒虫は、犬か猫みたいに可愛くて、思わず僕は頬ずりした。
(ははあ、そんな闇の虫と仲良くしてるのか)
桐吾が心の中で笑うと、風がざざああと不気味に吹く。薄気味悪いと思った。
(お前にうってつけの仲間というわけだ)
「うるさいな、いいだろう、僕がなにと仲良くしようが」
(その生き物も、お前の闇属性に気づいて近寄ってきているんだぞ。闇をいくら嫌おうが、闇はお前に笑顔を見せる)
「闇とかどうでもいいよ。黒虫は可愛いし」
(そんな風に闇を侮っていると、いずれ罰を受けるぞ)
「…罰なんて、黒虫はひどいことをしないよ、お前みたいに」
(本当にそうかな?フフフ…)
桐吾がやってきてから、一週間経って、学校は夏休みに入った。
入道雲は、生きる気力のない僕を責めるように大きく、ただ巨大に成長して、空の上でこの世は俺のものだと我が物顔だ。
学校が休みだから、車通りのない裏通りは子供のはしゃぎ声がして、みんみんと蝉はせわしなく鳴いている――――
おばあちゃんと僕とお父さんと、それから、人には言えないけど、黒虫と桐吾が新しく僕の家族になった。
八月に入ってお盆が来ると、親戚が僕の家に遊びに来た。
大人たちは、先祖の霊を慰めるためや、夏に亡くなったお母さんの遺影に花をやるために、檀家となっているお寺にお参りしているけど、僕ら子供はつきそうだけで、基本なにもしない。
それでも、母親のために何人も集まってくれたと思うと、子供心の嬉しくて、僕はお盆は大好きだった。
「久弥君、これ、見せてあげる」
蝶の標本だよ、と言って、やってきた従弟(いとこ)の咲君が、木の箱に入ったルリタテハやクロアゲハを見せてくれた。
「わあ、綺麗―――」
日本の蝶だけではなく、外国の、南国の蝶が、銀色のピンでとめられている。
それは、少し可哀想だったけど、残酷なまでに美しい標本だった。
「この蝶なんて、ここらへんでも獲れるんだよ」
そっち方面には詳しいんだぞ、さも言いたげな近松 咲(ちかまつさき)君は、僕よりひとつ年下で、いつも身長が僕より少し低いのが気に食わないというような顔をしている。
目が細くてツリ目で、黒髪を額のあたりで切りそろえている。
近所のガキ大将に紹介したら「生意気そうなヤツ」といわれそうな雰囲気で、本で得た知識を披露するのが得意だ。
友達の少ない僕にとって、まともに話すことのできる友人は、この咲君くらいなものだ。
「ねえ、咲君、隣の水子神社へ遊びに行こうよ!」
「いいよ、でも、汚れるのは嫌だな。買ってもらったばっかりなんだよ靴」
「大丈夫、ちょっと駆けるだけだから」
ジ―ジーとアブラゼミが鳴いた後、それを追いかけるようにミーンミーンとミンミンゼミが鳴いている。
滝みたいな蝉の鳴き声が流れてくる水子神社は、僕の家の左側にある。
僕らは、境内のお賽銭箱のあたりの階段に座って、揺らめく陽だまりを目で追っていた。
「ねえ、咲君、夏って特別な感じ、しない?」
「するする、なんか胸がざわめくというかときめく感じだよね」
「それだけじゃないよ、やっぱ、友達が隣にいるとよけいわくわくするよ」
「そうだね。なんか元気そうで安心だよ、久弥君」
久弥君のお母さんが亡くなってからまだそう経ってないからね、と言われて僕はさっとさみしい想いが胸をよぎった。
「ああ、ごめん、思い出させちゃったかな、久弥君」
「いいんだよ、僕も、お母さん死んでからそう経ってないのにはしゃいでて、馬鹿みたいだ」
「いいんじゃない?久弥君のお母さんだったら、元気にしている久弥君を見たいと思うもの」
そうだよね?そうだよ、と応答して、僕は元気にその場でジャンプした。
「ねえ、咲君、僕のとっておきの秘密を教えてあげるよ」
「なんだよ」
「君だけに教える僕の秘密」
僕は心臓をばくばくさせながら言った。
「僕ね、闇の生き物が見えるんだよ」
…咲君はそれを聞いて、しばらく黙ってそれから盛大に吹きだした。
「なにそれ、嘘ついてるんでしょ久弥君」
「ほんとだよ!!」
本当は、こんなこと言うつもりはなかった。けれど、六月の梅雨のころ出会った僕の友人を見せたら、この小さな友人は、なんというだろうか。
きっと友達になってくれるに違いない。もしかしたら、闇を見る力のない咲君には、目に見えないかもしれないけど、見えたら、きっと喜ぶ。
「そういえば、久弥君、お化けが見えるんだって、よく僕に愚痴を言ってたよね、去年のお盆のときも」
「うん…怖いことばっかりだったけど、今度は違うんだ」
「そんなの嘘だよ。闇の生き物なんて、想像の産物だよ。幻覚だよ」
「嘘じゃない。幻覚じゃないもの」
「幻覚だ」
「違うってば!」
僕はかっとなって、ズボンのポケットから、黒々としたボールみたいな黒虫を取り出して、咲君の目前にかざした。
黒虫はキューキューとわめきながら、僕の掌の中で暴れている。
「こいつ、黒虫っていうんだよ」
「…!?」
「ねっ?可愛いだろ?」
咲君は、目前に捕まえられている黒虫を見て、固まって息をのんでいた。
「なに、この生き物」
「黒虫っていって、咲君にも見えるんだね。よかったぁ」
良くない、と咲君は言ってさっと後ずさりすると、立ち上がって「帰る」言った。その顔は青ざめていた。
「さきく…」
「僕、久弥君のことは好きだ」
「だけど、そいつは怖いから嫌い」咲君はそういうと、立ち去ろうとして、振り返った。
「殺しちゃってよ、そんな生き物」
◇◆◇
ザーザーと雨が降っている。
灰色の空の向こうのほうから、ごろごろと遠雷が聴こえてきた。
土手の下は、すでに洪水みたいになった川が、ゴーゴーと鳴っている。
僕は、家の近くの草むら生い茂る川岸にいた。
…闇が見えるが故に、現実に軋轢が生まれる。
いつもそうだ。なにか楽しいことがあっても、暗闇が水を差す。
家族でピクニックに行っても、僕だけが、怖い影を見て、泣きだす。
体育の時、グラウンドで、先生の背後におっかない顔をした影が見えて、がたがたと震えている。
「どうしたの、久弥君?」
「なんかおかしいね、体調悪いの?久弥君、保健室行こうか?」
だって変だもの。
久弥は変だもの。
なにもかも嫌になった。
久弥君は好きだけど、そいつは怖いから嫌い。
殺しちゃってよ、そんな生き物。
面倒見切れなくなった。
お前は死んでしまうしか道はない。
「…黒虫…」
殺したくなかったけど、殺してしまった。
くたり、と手の中で黒い小さな毛玉は死んでしまった。
首なんてどこだか分からなかったから、全身を押すように、つぶした。
手のひらに残る体温は温かみはない、もともと温度なんて、黒虫にはなかった。
さらさらと、黒虫は、手のなかで溶けて灰みたいになって、川岸の草むらのどこかに消えてしまった。
闇の生き物を殺めて、責める人はいない。けれど。
そのとき幼い頭で、善と悪を必死になって考えた。
これでいいのか。
本当に、黒虫を殺してよかったのだろうか。
(罰だ)
心の中から、あの、男の声が聞こえてきた。
(だから言っただろう。闇を甘くみると、こういう目を見る)
「五月蠅い」
(黒虫を失ってさみしいか?)
「寂しい…僕は」
涙がぽろりと頬にこぼれた。
僕は、大切な友達を失ってしまった。
(可哀想にな…)
そろりと天を見上げた。
ざあざあと容赦なく雨は降り続いている。
(俺が―――慰めてやる)
遠くで、ちりん、となにか心を揺らめかせるような、鈴を鳴らしたような音がした。
それから、僕はよく泣くようになった。
おばあちゃんが、倒れたのは、そんな矢先だった。
母親が死んで間もないというのに、おばあちゃんまでもをも…
と近所の人が「不吉ね」と噂をしているのを聞いた。
泣きっ面に蜂とはいうけど、一寸先は闇ともいうけれど。
止まない夕立はないけど、止んだ後排水溝に流れる水はどこまでも濁っていた。
あっ…あっ…
ぎしっぎしっとベッドのスプリングが大きく揺れている。
あっ…あぅっ…
はぁっはぁっと荒い吐息が繰り返し繰り返し部屋の空気を震わせて、みしっきしっ古い家屋は軋み、部屋の温度が急上昇している。
それは、激しい、激しい情交だった。
僕は、自室のベッドの上で、逞しい裸体の桐吾に組み敷かれて、もはや息も途切れ途切れだった。
僕からは桐吾の肩越しに天井しか見えない。
後穴を雄々しい桐吾の一物で責め立てられ、反り返った僕の背中を桐吾の腕ががっちりとつかんでいた。
上気する熱は部屋の温度をぐんぐん上げてゆき、どくどくと桐吾の竿は尻のなかで脈打ち、
もはや、どこからが僕でどこからが桐吾が分からないほど、激しく穿たれていた。
びゅっびゅるっと絶え間なく若い桐吾自身からは白い液体が漏れて、尻の谷間を伝っていくのが久弥に分かった。
汗だくになった僕がすがりつく桐吾の背中も汗ばんで、人並みの汗がにじんでいる。
「人の体というのは面白いな」
ぎしっぎしっとスプリングが軋む。
「ひっ…ひあっ…そこっ…とう…ご…」
「ここか?」
「んっ…あっ…そう…そこ…」
桐吾は久弥のいいところを見つけて、ピンポイントで突いてくる。
「こうして獣のように情交を交わしていると、自然と体が熱くなってくる…フフっ、良いか、久弥」
「き…きくな…あ…っ」
ひっ…あっ…
「可哀想にな…俺が慰めてやる…」
「あっ…あっ…桐吾…か、体は…」
体は開け渡すけど、その代わりに―――
「おばあちゃんを助けて」
おばあちゃんは、今、病院でたくさんの管をつけてなんとか生きている。
医者の話だと、今月いっぱい持つか怪しいという。
「それは、鬼の俺でもかなえられそうにない望みだな。
可哀想に…可哀想にな、婆様も、お前もな――――」
「ひっ…おばあちゃん、黒虫、おかあさん、みんな、どうして僕を置いていくの?」
僕の目からは涙がとめどなく零れてきた。
桐吾は動きを止めなかったが、悲しそうな、本当に悲しそうな顔をした。
「俺が、人の姿で、お前のそばに来ることができたのは、もしかしたら偶然じゃないのかもな。
もしかしたら、お前の不幸をどこかで予感していたのかもな」
そういって、桐吾は僕の唇に、闇の存在らしからぬ優しいくちづけを落とした。
おばあちゃんは、一か月を過ぎない間に、逝ってしまった。
夕暮れを、赤とんぼが、路地を歩く幼稚園児の頭に止まっている。
あの複眼はなにを見ているのだろう。蜻蛉が、人の形をしていないからといって、僕らと違う景色を見ていない訳ではないのかもしれない―――
それは闇の存在と同じで、彼らも人と、同じ苦しみ、悩み、哀しみを抱えているかもしれないということだ。
黒虫をこの手で殺してしまったときから、僕の考え方は変わっていった。
僕はもう気づいている。それはもう、とっくの昔に――――
そう、もうとっくに昔に、僕の心は。
振り返ると、
手を差し出した桐吾が立っていて
ああ、闇が迎えに来たなあ
そう思ったとき、僕の影法師は、闇に溶けて消えた。
◇◆◇
白い煙が、送り火が、くゆりと夕闇に揺らいでいる。
カナカナカナ…物悲しいヒグラシの鳴き声が夕闇に堕ちてゆく。
悲しい回想はここまでだ。
月はいくつも姿を変えて、波は寄せて引いてを繰り返して、僕は、18歳になった。
闇は優しかったけど、人の心を捨てきれなくて、僕はまた成長して現世へ戻った。
記憶がない15、16、17歳の頃は、闇の世界へとやら行っていたらしい。
先月亡くなった父親が、「お前は神隠しに逢っていたんだ」と死に際、ベッドの上で言っていた。
(どうして、黄泉の世界へ行けなかったんだろうな)
心の中に棲んでいる辻村桐吾も、まだそこにいた。
「さあ、僕はよくわからないけど、人の心を失くせなかったんじゃないかな」
怖かった梅雨も、悔しかった夏も14歳のころに置いてきた。
(他人事みたいだな)
「でもまだお前がいる。そう気を落とすなよ、これで終わりってわけじゃないんだろう?」
(そうだな、闇はまだすぐそこだしな)
「やめろよ、もう14歳のころは思い出したくない」
(闇を呼ぶお前の体質が、家族を不幸にしたのかもしれん)
「俺を責めるの、やめろよ」
(くく…今に始まったことじゃないだろう。お前の不幸体質は)
それに…と桐吾は続けた。
(俺が迎えに来たということは、他の闇の存在もお前を狙っているということだ。
そらみろすぐそこに、闇が)
後ろを振り返ると、誰もいない庭はもううっそりと生い茂る木々に黒く浮かび上がっていた。
「…誰もいないじゃないか」
(そのうち、迎えに来る、若いうちに、お前をどうこうとする輩がな)
そんなのいるのか、と答えようと思ってやめた。
たしかに、今、足をつかむ白い手が見えたような気がしたのだ。
僕はくっと顔をしかめた。
ちりん、と心を揺らめかせる鈴の音がどこからともなくした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これで終わりです。長い文章読んでくださってありがとうございます。これだけ書くのに、二日くらいかかってます。闇と現実とか、善と悪とか、ヌヌヌ難しいと書いてて非常に苦労しました。桐吾がニンゲンではないので、ほんとセリフには苦労した。頑張った、酒飲みたい。
あ、もうこんな時間だ明日仕事だし、それではまた!ご感想などありましたらお待ちしております。なんか消化不良な話で申し訳ないです。これに懲りず、怖いBLなど書けていけたらなあと思います。
…今度は、全然変わって、優しそうな人である。ていうか、闇や化け物や異形を好む「狂人」であることを言っておこうと思う――――。